透きとおる惑星


透明のガラスケース。そこに、ちっぽけな惑星が浮かんでいる。浮かんでいるというより、漂っているという方が的確かもしれない。惑星の周り、ガラスケースの内部は、わずかな気泡を残し、透明の液体で埋め尽くされている。

「…あれ、惑星、落ち着いた?」
「あぁ。なんか、急に静かになっちゃってさ。」
「へぇ?協定でも結んだのかしら。」
「さぁ?そうだといいけど。」

台所から顔を覗かせた彼女は、惑星を抱えたまま首を傾げた僕に笑って、またドアの影に消えた。台所からは時間を置かず、温かな香りが流れてくる。休日の午後、冬の気配、シチューの持つ幸福のにおい。

つい先ほどまで、惑星では戦争が行われていた。ちっぽけな惑星に不釣合いなほど、大掛かりな戦争だ。
勿論惑星は僕の持っているガラスケースの中に完全に密封されているわけであって、僕にまで危害が及ぶことはないだろう。説明書にも、持ち主の安全性は保証すると、書いてあった。

商品開封後は、できるだけ早めに惑星を育ててください。
惑星の育て方:
@付属のガラスケースに惑星の素を入れてください。
Aガラスケースに、別売りの惑星水を注ぎ、蓋をしてください。
B隙間ができぬよう、テープで密閉してください。
Cできるだけ静かな暗いところに、40時間置いてください。

説明書どおりの工程で出来上がった惑星は、綺麗な色をしていた。
紫がかった白色で、涼しげな姿をしている。半信半疑だった僕は、その美しさにひとめで魅了された。あれから、もう三ヶ月が過ぎた。あの美しい惑星は、水の中にありながら、今ではすっかり毒々しい赤色に変化してしまっている。

シチューができたと彼女が言ったので、僕はガラスケースを抱えたまま、食卓に向かった。
テーブルの真ん中、普段は花が飾られている位置にガラスケースを置いた。いつもは文句を言う彼女も、惑星の一大事とあっては、何も言わずにそれを許してくれた。惑星は、数時間前までの喧騒が嘘のように、静かになっている。

育てたといっても、僕は何をしたわけでもない。説明書に習って惑星発生に手を貸したこと以外は、暇さえあればただ惑星を眺めて過ごした、それだけだった。

ちっぽけな惑星は僕の目の前で生き物を育み、生き物は勝手に自我を育て、殺し合いを始めた。その殺し合いも先ほど落ち着いたようだ。この次の変化を、僕らは固唾をのんで見守る。

「「あ」」
声を上げたのは同時だった。
惑星は、ぱちんと呆気ない音を立てて、泡になった。
あとに残るのは、透明の液体で満たされた、ちっぽけなガラスケースだけだ。

「こういう風に、プログラムされているものなのかしら?」
「え?」
「だって、市販品なんでしょう?」
「うん…」

僕はガラスケースをそっと持ち上げた。
惑星の名残のわずかな気泡が、ゆらりと溶けた。

2006/08/26
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